もともと移動そのものが仕事みたいな自分にとって、コロナには当然、大きな影響を受けた。移動できないことはストレスになったが、逆に自分の大前提が封じられたことで、これまで出来なかったことをまとめてやる時間もできて、それはそれで意味があった、と今は思う。
物・『世界』
2021年に「世界」という本を出した。コロナ禍になるまで20年近く、毎年数ヶ月、世界をあちこち旅していた。それができなくなったことは自分の活動においてはもちろんとても影響が大きかった。しかし語弊を承知でいえば、その状況はどこか新鮮でもあり、少しほっとしたような部分もあった。それはやっと自分の写真をきちんと見返す時間ができたからかもしれない。普段、自分の写真を見返すことはあまりないが、有り余った時間で20年分の写真を見返してみると、改めて気づくことも多かった。つまり自分の過去の写真が新たなインプットとなった。当たり前のことながら、今の自分に比べれば技術的には稚拙で、恥ずかしくなるような写真も多い。でもそのとき、そうしなければ撮れなかった稚拙さも含めて、奇妙な勢いだけは認められた。結果それらを500ページを超える写真集にまとめて、いつか自分が出したいと思っていた、妥協のない形で一つの本にまとめることができた。それはコロナのせいで、旅ができなくなった「おかげ」だと思う。
こと・新しい移動
コロナの始まり頃からちょうど電気自動車に乗り始めた。別にエコだとかそういう宣伝文句に興味があったわけではなく、単純に従来の自動車と違う、新しいガジェットとして面白そうだったから。今でこそ別段珍しいものではなくなったが、当時はまだ乗っている人自体があまり多くなくて、問題がおきると海外のフォーラムでFixする方法を模索するというような初期Macコミュニティのようなノリがあって、面白いと思った。結果的には乗り心地も含めてとても気に入った。よく電気自動車は充電が面倒といわれる。一度充電しはじめると30分くらいは車内でぼーっとしたり、外をぶらぶらしないといけない。でも自分の場合はもともとぼーっとするのもぶらぶらするのも得意なので、すぐに馴染んだ。コロナ禍において平時は自宅と事務所を行ったり来たりするくらいの生活だったから、その途中でたまに公園などで充電しながらぼーっとするのはいい気分転換になった。たまに車内で仕事をしたり、キャンプに行くときも電化されているので楽だった。自宅、事務所と別に車内、という別の「移動する生活空間」ができたようなインパクトがあり、閉塞したコロナ下の状況にあってよい息抜きになった。
場所・東京
コロナ以前は自分の撮影でも、クライアント仕事でも、海外を撮影することが多かった。しかしコロナによって海外渡航が難しくなったこと、また東京オリンピックが重なったことで、東京を撮影するという仕事がとても増えた。でも結果としてはそれが自分の足元をもう一度見直す良い機会になった。特に印象に残っているのは東京をはじめて空撮したこと。だいぶ昔に何かの機会で東京でヘリコプターに乗ったことはあったが、撮影目的で乗ったのは初めてだった。今ではドローンが普及していて、空撮写真や映像そのものに目新しさはない。ただ東京はビルが密集しているせいで、ドローンの撮影を行うことは難しい。だから昔ながらのカメラによる空撮を選んだのだが、改めてこの巨大な街を空から見て、その異様さに驚かされた。世界あちこちを旅してきたが、東京のような街は世界のどこにもない。局所的なビル群ならニューヨークや上海、ドバイなどもすごいが、これだけの面積で延々と人工物が並んでいる場所は、知る限り世界のどこにもない。ただ、そこが発展しているのか荒廃しているのか、空から見たら、もはや見分けがつかなかった。