「日本のへそ」と呼ばれる兵庫県西脇市を拠点として、コットンの栽培から製糸や染色、販売までを手掛けてモノづくりを行う「tamaki niime」。あらゆるものの循環を大切にする理想郷「niime村」をビジョンに掲げ、50人を超える職人やデザイナー達によって自給自足的にアパレルが生産されている。
ブランドのシグネチャーともいえるアイテムは、ショールだ。
tamaki niimeのショールは、オリジナルの糸を1980年代の織機を用いてゆっくりと織り上げ、洗って自然に乾燥させることで作られている。こうして生みだされたショールは柔らかな肌触りを持つだけでなく、一点一点が唯一無二の柄になっている。
「モノづくりを進めていくうちに、段々と自分で生地を作りたいという気持ちが大きくなっていったんです。」と代表の玉木 新雌(たまき にいめ)氏は語る。
玉木氏は福井県の出身だが、一人の播州織職人に出会ったのをきっかけに2009年に西脇に移住し、シャツ作りを中心とした活動を行なっていた。そんな中、玉木氏はシャツ生地の開発中に偶然出来上がった柔らかい生地を何気なく首に巻いてみた。その着心地に感動を覚えたことがきっかけで、「tamaki niime」というブランドとモノづくりを、ショールからスタートさせることとなった。
ショールが販売されているショップは拠点の入口にある。
奥に進むと、tamaki niimeの心臓部ともいえるLabがある。このLabでは、職人たちに愛着が湧くよう名前を付けられた織機達が力強い音を響かせている。
一方、ひとたびLab外に出ると、敷地を駆け回る動物たちが目に映り、私たちは驚かされる。niime村ではアルパカや羊といった繊維に関係する動物が飼育されている。これらの動物たちももちろん、村の一員として、それぞれ名前がつけられている。
敷地の奥に進むと、作品の原料となる綿花の栽培や食物づくりの風景が見え、私たちは更に驚かされることになる。
「niime村」といった名の通り、原料から食物までをも自給自足的に生み出し、暮らしをデザインしていくtamaki niimeのスタイルは他に類を見ない。敷地内を自由に走り回るアルパカや羊たち。動物と人が共存し、村という形を成していく。
―最初にやってきた動物はなんだったんですか?(宮浦氏)
「羊でした。ウールの開発に力を注いでいた時期、様々なご縁があって、黒と白の羊がやってきたんです。」(玉木氏)
「もっと動物を増やしたくて、来年は馬を迎え入れようかと考えているんです。」
―どんどん動物が揃っていって、なんだかノアの箱舟みたいな感じですね。
「そうなんです。地球の環境をこの村で作っていこうと。震災やコロナなど、環境が一気に変わったときに自分たちで柔軟に適応できるという態勢をとっています。」
イッテンモノの秘訣は糸にある
tamaki niimeのプロダクトは、すべてがイッテンモノだ。
一般的に言って、イッテンモノの生産は非効率的になりがちだが、tamaki niimeでは糸づくりと柄の設計に工夫を凝らすことで、効率的な量産を実現している。
「ワインダー」と呼ばれる糸を巻き上げる工程で、4本の細い単糸を束ねて撚りをかけずに巻き上げ、1本の糸にしている。撚りをかけないことで、より柔らかく、しなやかな風合いを持つ糸になるのだ。
さらにこの糸づくりの段階において、様々な色をミックスさせることで唯一無二の糸を生み出している。
こうして出来た糸を、普通であれば同じ糸を使って生地を織り続けるところ、10mごとに糸を切り換えることで、自由自在にイッテンモノを作り上げている。
―生産の裏側を、誰に対してもオープンにしてしまっていいんですか? ?(宮浦氏)
「他ではできないという自信を持っているので、大丈夫です。『やれるもんならやってみい!』というマインドです(笑)」(玉木氏)
この手法で生み出される「色」は、消費者の感性を刺激し、選択に彩りを与えている。少量多彩なモノづくりが、「選ぶ」という価値を創造しているのだ。
tamaki niimeでは、ショールなどの「織り」の他に、Tシャツやニットなどの「編み」も手掛けている。
日本で数台しかないような旧式の丸編み機から、最新のホールガーメント機まで、多様な編み機を所有しており、これらを用いてカットソーやセーターなどの製作を行っている。
一点を編むごとに糸の色の組み合わせを変えるため、こちらで生みだされる作品の柄も無限だ。様々なカラーに染色された糸の組み合わせ、編むタイミングなど、異なる事象を掛け合わせた先に生まれる偶然性は、作品に独特なアクセントをもたらす。
すべての出会いを大切に
―デザインだけでなく、玉木さんの活動の発想はどこから湧いているんですか?(宮浦氏)
「アイテムのデザインや活動のインスピレーションについては、深く考えません。常に受け身の姿勢をとって、新たな出会いを自分達のやりたいことに変換しているんです。『合気道の精神と似てるね』と言われて、確かに通じるところがあるなと、ハッとしました。」(玉木氏)
自分達に焦点をあて掘り下げていき、様々な人と交わる中で浮かび上がってくるものがある。そんなふとした出会いが村を成長させ、必然的に関わる人の数も増えていった。
「衣・食・住」の追求
tamaki niimeでは「放任主義」をモットーに掲げており、働く人は皆、生き生きとしている。
Labに併設されているカフェスペース「tabe room」(社食)はとても開放的で、休憩時間を充分に満喫できる空間だ。
窓から見える景色や周囲に貼られたアートワークを眺めながら、自家菜園や地元で採れた野菜中心の昼食をとり、ものづくりに取り組む活力を得る。自然体で生活を彩るtamaki niimeというブランドのクリエイティビティは、こうした余白から生まれるのかもしれない。
「作り手」だけではいけない
tamaki niimeは、2023年2月に「niime博」というイベントを敷地内で開催した。
生地や服、フードを販売するマルシェや、ものづくり体験スペースなどが催された。これらはtamaki niimeの社員を中心に、西脇の産地企業やtamaki niimeの取引先企業なども誘致して企画されたものだ。
地元の子供達や県外からの来客など幅広い層が参加し、活気的なコミュニケーションのなかで「niime村」を肌で感じることのできるイベントとなった。
「『作り手』は『作り手』だけではいけないと思うんです。今回のniime博では、普段販売の仕事と関わりのない生産チームが、自分達のモノづくりをお客さんに伝え、販売することに挑戦しました。」と玉木氏は語る。
作り手自身がお客様と丁寧なコミュニケーションをとる。それがモノづくり発展のカギだと玉木氏は考えている。
「niime博」は、若い世代や地域外に「播州織」や「西脇市」の魅力を伝え、持続させていくための大きなきっかけになった。
「点と点をつないで線にし、更にそれを面として幅広く伝えていきたいです。」と玉木氏は語った。
大地の再生を図る
Labの隣には、かつてコンクリート貯水槽だった一角がある。
tamaki niimeが植物との共存を図るプロジェクト「大地の再生」は、この一角に土を入れ、木々を植えるというものだ。
コンクリートという無機物の中に土と水の流れを作り、植物どうしが根を繋ぎあって循環を生む。この空間は、コンクリートに覆われた地球の本来の姿を想起させ、自然の力強さを私たちの五感に訴えかける。
tamaki niimeでは、ショールの売上10%をこの「大地の再生」に充てている。地球という大きな視点での環境問題に、一石を投じているのだ。
「自分達にとって居心地の良い空間・暮らし方を実験しているんです。」と玉木氏は語る。
「再生」「共存」「循環」という3つのキーワードで、tamaki niimeは単なるファッション・ブランドではなく、「ネイチャー・ブランド」としてこれからも価値を創造していく。
「愛」を基軸に播州の未来を切り開く
播州織の歴史を紐解くと、当初は一貫して生産から販売までを行う体制だったが、発展に伴って効率性を求められ、工程が分業化していったそうだ。
もともと西脇市の生まれではない玉木氏は、ある種「よそ者」として播州織の世界に参入した人物だ。
そんな玉木氏だからこそ、産地を俯瞰し、自社独自で「イッテンモノ」を生みだすというスタイルを切り開くことができたのだろう。
「1から10までを自分達でやりきって、成功させれば、世の中は変わると信じています。」(玉木氏)
様々な人の価値観を拒まず受け入れ、自然を愛して自給自足的な活動を行うtamaki niimeの根幹には、玉木氏の愛が満ち溢れている。
大量生産・大量消費の現代において、tamaki niimeの営みは、私たちに新たなライフスタイルを提案し、あらゆる枠組みを超えて、地球の未来を築き上げていく。