春を迎えに、上を向いて。
冬の残り香が漂う、3月頭の朝、9時。
目黒川に架かる別所橋を行き交うひとは、黒やベージュ、ネイビーといった外套に身を包んでいた。川沿いには寒々しい木々が並び、か細い枝が風に震える。皆が足早に駅へと急ぐなか、鮮やかな桜色が飛び込んできた。彼女は桜を咲かせていた。
白いワンピースの上に羽織るのは、桜のプリントが前面に施された薄手のブルゾン。日中ならともかく、この時間はまだ肌寒いだろう。シルク混のなめらかな黒い生地に、ピンクや白の花が腕のあたりまで鮮やかに咲いている。桜の枝の部分は立体的な刺繍によって表現され、よく見ると散っていく花びらもプリントと刺繍が入り交じり、まるで荘厳な日本画を纏ったかのような優雅さを放つ。春を先取りする、彼女の軽快な歩みが目を惹いた。
それはCHRISTIAN DADAのブルゾン。むかし彼女が、恋人の付き添いで表参道に行ったときに買ったものだ。一目惚れ。高かったし、攻めたデザインだけど、なぜか買った。「おまえそんな派手なの買うの」と恋人に言われた。買ったはいいものの、ほとんど着る機会がなくて部屋に飾って、それから畳んで仕舞いこんだ。恋人とは半年後に別れて、とうに顔も声も思い出せない。引きずるほどの恋でもなかった。
もともと彼女は、服にこだわりがない。生地の質は確かめるけど、無地のものを選びがち。デザインが入ると余計なものに思えてしまう。今年で32歳。大学入学を機に上京し、卒業後は大手広告代理店に入社するが、新人研修の時点で「違うな」と思い、一年でベンチャー企業に転職。立ち上げたばかりのオウンドメディアの部署に配属され、右も左もわからぬまま、タスクに追われているうちに年月が経った。なんとか軌道にのったらしいが、自分がチームに貢献できたという実感はあまりない。扱うのは、「ていねいな暮らし」をテーマにした特集が多く、そのために彼女は年中情報を仕入れ、自らも実践する。自宅はシンプルなインテリアで揃え、なるべく余計なものを置かないように捨て、柄の入った服も処分していった。身の回りから音がなくなっていく静けさを感じた。今もそれなりに忙しい日々。いつの間にか秋になり、慌てて秋物を買いに行き、冬になってようやくコートを引っ張り出し、春になったらそれを脱ぐ。季節に追いつくために服を着ることが、当たり前になっていた。
先週のことだ。会社からの帰り道、中目黒駅で降りて別所橋にさしかかったところで、夜風にのって高架から電車の音が響いた。その拍子にスマホを落とす。慌てて拾い、画面の無事を確認する。背面に傷がないか、月明かりを頼って空に掲げてみた。ケースの角に塗装の剥がれを見つけて、げんなりするも、ふと目に止まったのは揺れる頭上の枝。春になれば桜の名所としてにぎわう人気のスポットだが、今はまだ、木々の開花には程遠い。中目黒に住んでいながら、ここ数年はろくに桜を見た記憶がなかった。もちろん春先には視界に入ってくる。観光客の賑わいにも気づいている。だけどそれだけ。慣れ過ぎていた。歩きスマホばかりの自分が、急に惜しくなる。何がていねいな暮らしだ。一年間、同じ毎日だと気づいた。家に帰って、押し入れを引っかき回し、桜のブルゾンを出してみる。モノクロのワンルームに色が生まれた。
翌日、彼女はブルゾンに袖を通した。珍しく派手だねと、同僚に言われて、照れくささも嬉しさも真顔で隠した。次の日も着た。その次の日も。寒いくらいでちょうどよかった。私のほうが先を越してやったと、春に対して想う。
ほとんどの人は、季節はやってくるものだと考える。だけど今年の彼女はもう違う。一足先に桜を纏い、春を迎えに行っている。彼女は今日も歩く。まだつぼみのままの桜の木の下、待ち遠しそうに空を眺める。
2023年3月 中目黒
松澤くれは