梶原加奈子_ポートレート

梶原 加奈子 (かじはら・かなこ) 氏:多摩美術大学を卒業後、イッセイミヤケに就職。その後、世界のテキスタイルを学ぶべく、イギリスの大学院「ロイヤル・カレッジ・オブ・アート」に進学。在学中に経験した世界中のテキスタイル工場の現場が、現在立ち上げて17年目となる「KAJIHARA DESIGN STUDIO」創業のきっかけとなった。

留学で気づいた「テキスタイルの可能性」と「日本の評価」

―「ロイヤル・カレッジ・オブ・アート」(以下RCAと記載)に進学されたきっかけは?

イッセイミヤケ在籍時にグローバル市場に関わる仕事を通じて海外との交流に興味を持ちました。それと同時期に、多摩美術大学がRCAとの交換留学を模索しており、教育面でグローバルな架け橋を作りたいという相談も受けていました。

私自身も世界のテキスタイルデザインを学び、自分の知見や技量を高めたいという想いが強まり、RCAへの留学を決意しました。

―RCAではどういったご経験をされていたのでしょうか?

RCAは産学連携型で社会経験を積む方針の大学院です。様々な国の企業から課題を与えられました。提案したコンセプトやデザインで実現化の可能性があれば、インターンシップの機会を得て企業や工場で実践しながら学べます。イギリスのトレンド発信会社や、イタリアやスペインの工場、ユニクロさん・東レさんの海外工場にも関わらせていただきました。世界の工場現場を経験したことで、「やっぱりモノ作りは工場から始まるんだ」と改めて感じたのを覚えています。

―海外での工場インターンで印象的なエピソードはありますか?

イギリスのインテリア生地を販売する会社から、南アメリカのグアテマラにある工場に派遣された時のことです。工場にある残糸と手織り機を使って、イギリス市場に販売するテキスタイル企画を考えました。

残糸を活用することもそれまでなかったですし、手織り機はとてもアナログな機械。現地の職人さんが横に付いて、手で綜絖(そうこう)を上下に引っ張り動かすんですよ。1、2、1、2って。初めて見た光景でした。限られた環境の中で市場に販売するデザインを生み出すことはプレッシャーでもありましたが、職人さんとの交流を深めて一緒にモノづくりを考えていくことにやり甲斐を感じました。

信号もないようなグアテマラの、アンティグアという街を毎日歩いている中で、地域の成長にも目が向きました。「工場の受注が人や街を元気にすることに繋がるんだな」とデザインの役割を初めて客観視できたかもしれません。産業や地域の活性化を意識し、これからの役目が脳裏に浮かびました。

日本でデザイナーとして仕事している時は、自分自身が評価されることやお客さまの喜びに繋がっているかどうかをストイックに考えていましたが、RCAの産学連携教育やインターン経験を通して、テキスタイルデザインは「美しいものを生み出す」以外にも、「人や街の未来を作る」力を持つことに気づかされました。

―RCA卒業後はもともと帰国するつもりだったのでしょうか?

実は、インドに行こうとも考えていました。当時インドはテキスタイル産業が活発化していて、イギリスにデザイナーのスカウトが沢山来ていたんです。私もお声がかかり、興味もあったのですが、RCAの教授から、「世界の繊維産業がアジアに移行していくので、日本のテキスタイルこそ将来が厳しくなる。地域活性化に関わる仕事に興味があるなら、インドではなく日本に戻り、デザインを通してグローバル販路開拓や人材育成に関わったほうが良いのでは」と言われました。

教授はWGSNというトレンド発信会社のディレクターも兼任していた方で、日本のテキスタイルは「面白い生地だけど、欧米のマーケットにデザインやカラーが合わない」という意見をお持ちだったようです。その時点で私は日本の繊維産業が厳しい状況に置かれていくとは知らず、海外からの客観的な意見を聞いて大変衝撃を受け、帰国を決意しました。

梶原加奈子_スピーキング2

テキスタイルデザイナーの居場所

―帰国後、「KAJIHARA DESIGN STUDIO」を立ち上げるまでの経緯は?

産地の工場が作るものをグローバル市場に適応させて、販路開拓に貢献したいと思ったので、どのように工場と直接仕事が出来るかを探るために、最初の半年は東京の繋がりある方々に相談しました。でも、相談した全員から日本の産地にはテキスタイルデザイナーとしての仕事がないだろう。イタリアに行くべきという意見を頂きました。2000年以降、アパレル企業や商社がアジアに生産拠点を移行し、国内産地への発注が減少していることが影響し、私が帰国した2005年頃は工場の余裕がなくなっている時代でした。そのため、問屋さんからの発注を受ける委託型の形が望まれており、自社発信先行型の企画を開発するモチベーションが低かった時代です。ただ、様々な方と10年後の繊維業界の課題を話し続けていくうちに、今後の海外販路開拓やブランド化を重要視されていた尾州の工場と播州の産元商社の経営者と意見が合致し、外部業務委託の形式で契約してスタートできました。と言っても、現場はまだ自社開発に消極的で、デザインをする仕事はほんの少しにして、生産や営業を積極的にサポートしていました。海外の工場でインターンした経験や日本の未来を話した経験がなければ、

目の前の事実に私自身も挫けていたと思いますが、常に10年後の工場を想像しながら改革を促進出来るように行動し続けました。

そんな風にフリーランスの立場で、私1人で2社の仕事をしていた頃は、会社を立ち上げるつもりはなかったのですが、工場の皆さんと仕事をしているうちに、テキスタイルデザイナーの地位の低さや居場所の無さを感じました。就職先の選択肢も少なく、企業ではポートフォリオも見てもらえないという学生の声も聞きました。そんな社会に対する反発心もあって、テキスタイルデザイナーが働く場を作りたいと思い、当時進路に困っていた後輩2人を巻き込んで「KAJIHARA DESIGN STUDIO」を立ち上げました。

―「KAJIHARA DESIGN STUDIO」はどういった事業をされているのでしょうか?

主に「デザインコンサルティング」と「COQ(こきゅう)」という複合施設の運営です。

「デザインコンサルティング」では、繊維工場の新規事業や、再構築事業に関わっています。特に海外に販売していきたい工場さんに対して、グローバルで求められるデザインや、スケジュール管理、販売方法をサポートする仕事が多いですね。

「COQ」は自然を取り入れた生活を提案する複合施設で、2017年に札幌の店舗を、2023年に中目黒の店舗をオープンしました。「COQ」はエシカルライフスタイルを踏まえたアパレルも作っており、テキスタイルデザイナーとしての自分の考えを煮詰めて、発信していく場所として位置づけています。

COQショップ

2023年2月にオープンした、東京・中目黒の「COQ」。梶原氏のルーツである自然豊かな北海道でする「深呼吸」や、日本のテキスタイル産業が継続し、生きていくための「呼吸」をイメージしてネーミングしたという。

COQアイテム

札幌と中目黒のショップで販売する「COQ」のアパレルアイテム。梶原氏のルーツである北海道の空や木々、花など、自然から得られる鮮かなカラーを落とし込んだテキスタイルが魅力だ。

海外と比較して見えた、日本のテキスタイル産業の課題

―海外と国内、両方のテキスタイル産業を経験した中で、違いは感じますか?

海外のテキスタイル産業は発信型が主流ですね。特にイタリアの工場は自分たちの印象をコントロールするブランディングに長けていて、付加価値のある魅力を伝えるのが上手です。

日本はオンリーワンの技術力があるけど、「わかる人にだけわかってくれたらいい」と籠りがちで、受け身になる気質があります。英語の苦手意識もあるので、バイヤーさんへのプレゼンでうまく話せなかったり、資料のPRも足りていない場面を見てきました。

―確かにイタリアのロロピアーナなどは、消費者にとっても身近な印象があります。

そうですね。ロロピアーナは生地だけでなくアパレル製品もやることで、ビジネスの領域を多角化し広げています。ラグジュアリーとして持続しているのは、コンセプトや歴史をもとにしながらも、時代に合わせた発信をする努力をしているから。

「うちのなんか全然です」と言う日本のメーカーさんもいらっしゃいますが、それと逆ですね。日本の謙遜的な文化は良いところでもありますが、グローバルで戦うにはもっと自社の歴史や思想を上質に視覚化し、価値あるものとして伝えていく必要があると思います。

―メイド・イン・ジャパンのテキスタイルは「質がいい」という認知がありますが、それだけでは戦えないのでしょうか?

そうですね。質がいいのは本当ですが、質だけで言えば、他国にも上質なテキスタイルは沢山あります。それ以上に日本には斬新でユニークなアイデアが求められているように感じます。伝統と未来、洋と和など相反する概念の融合から生まれる独特の感性が、日本に期待されているポイントです。

さらに工場の多角化は未来に向けた存続の対策として重要だと思います。自社の強みを生かしたファクトリーブランド事業に取り組んだり、観光業と掛け合わせたり、グローバルに発信できる工場さんが今後益々活躍するのではないかと思います。

―なるほど。上手く発信をするために、重要なのはツールでしょうか?

現在はHPやSNSのデジタルツールなど、気軽に低コストで発信が出来ます。頻繁に発信出来るように、印象の良い写真の準備を社内で出来るようになることが最初の難関かもしれませんね。

工場さんと向き合っていると、自分たちでポジティブな気持ちを作っていくことが、まだまだ苦手なのかなと感じています。会議でも無言や「出来ない」という会話から入ることが多いです。それはグローバル展開を目指す時にぶつかる言語の壁もそうですが、「何をしていいかわからない」「トラブルを起こしたくない」という漠然とした不安感が大きいと思うんですよね。

だから、私たちが工場さんにコンサルティングをするときは、まずは現場にいる人の気持ちを大事にして足並みを揃えつつ、改革する範囲や方向性を合わせて、スケジュール管理や最後の輸出業務までアシストすることを意識しています。発信ツールも必要ですが、現場の人の気持ちが前向きになり、無理なく未来の可能性を想像していけるようになることも大事です。

デュオ・プロジェクト「MONONO AHARE」

梶原氏とフランス人デザイナーのデュオ・プロジェクト「MONONO AHARE」(2018-2019)。日本の伝統技術である西陣織・墨流し染・友禅染の技術をもとにテキスタイルデザインし、パリの服地見本市”PREMIERE VISION”で展示発表した。http://www.villakujoyama.jp/ja/resident/

健全な呼吸、日本のテキスタイルの未来

―業界の課題をお聞きしましたが、それらを乗り越えた先の世界はどういったものでしょうか?

個々の工場が、販売する場所と値段を決められる世界です。オリジナリティあふれる発信を通じて、「このマーケットで、この価格で売りたい」という希望が叶うような世界。

今、工場の経営者さんが悩んでいるのは、原料が高騰しても工賃を上げられないこと。

小売、アパレル、問屋など流通の中で、工場以外がどこも価格を変動しないので、工場に皺寄せがきています。原料高騰で価格がコントロールできない環境だと、何のために頑張っていくのかを見失い、廃業を選ぶ場合もあります。また人件費を上げられないことも人材不足に繋がっています。働きにくい環境が続くと、継続が出来なくなります。

テキスタイルがなくなってしまうと、アパレルブランドは製品を作れなくなってしまいますし、縫製工場も仕事がなくなってしまう。アパレルブランドや縫製工場とお互いにリスペクトを持ちながら、相互に成り立つ流通が整っていくように連携の仕方を考えたいと思います。

日本で売れなかったとしても、海外で評価されるケースは多々あります。いきなり海外に振り切るのが必ずしも正しいとは思いませんが、日本市場を中心に据えつつも、時には海外にも目を向けてみる、という前向きな選択肢の広がりが、日本のテキスタイル産業で必要な「呼吸」を生み出すかもしれません。

少子高齢化で働き手もどんどん減っていくなか、「健全な呼吸」が若い人たちの希望につながっていくと信じています。

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