地域資源を活用し、南小国の魅力を伝えるプロダクトを展開する「FIL」
ー家業である林業を3代目として継ぎ、「FIL」を立ち上げたきっかけを教えてください。
穴井:2016年の熊本地震で観光などの産業が衰退したときに「南小国の町全体を盛り上げるには新しい取り組みやブランドが必要なのではないか」と感じ、地域活性化プロジェクトとしてスタートしました。「FIL」は「満ち溢れた人生」を意味する「Fulfilling Life」が語源で、“本当の豊かさ”とは何かをこのブランドと繋がる人々や社会へ問うことがコンセプトです。
ー“本当の豊かさ”を問い続けるというコンセプトはどこから生まれたのでしょうか?
穴井:南小国に遊びに来た仕事仲間や知人から、町全体が「自然と人」との深い繋がりに満ち溢れている感じがすると言われたことがあって。そこから「自然と人・人と人」との繋がりが深ければ深いほど、私たちの生活はもっと満ち溢れるのではないか、そんな仮説が生まれました。南小国の人々に本質的に備わっている生活や時間、心の豊かさ、その価値観や文化など、代々受け継がれて醸成されたこの町にしかないあり方を通して、ものや情報に溢れた現代で忙しく生きる人々に「豊かさとは何か」「幸せとは何か」を問うブランドにしたかったんです。社会全体や製品を購入してくれた方だけでなく、運営する私たち自身やプロジェクトに関わるクリエイターに対しても、問い続けることが目標です。
ー南小国に受け継がれる心の豊かさや価値観・文化とは具体的にはどういったものですか?
穴井:阿蘇の美しい景観が人の丁寧な手入れによって保たれていることや、田舎独特の外の人間を受け入れない閉鎖的な空気感が一切なく、訪問者を優しく受け入れる温かい心を持っていること。そういう「自然と人・人と人」の繋がりの深さが南小国の強みなのではないか、そんな環境にこそ本当の豊かさがあるのではないかと感じています。最初は賛否両論でしたが、「FIL」のキービジュアルに人物を写り込ませているのも、「自然と人」の繋がりが深ければ深いほど私たちの生活は満ち溢れるのではないか?というメッセージをわかりやすく伝えるためなんです。
ー南小国の魅力を伝えるための手段のひとつが「FIL」の家具や雑貨なんですね。
穴井:はい。そのために自分たちが本当に良いと思えるものづくりを徹底しています。小国杉の価値を高めるために、家具には小国杉にとって、大トロと言ってもいい希少な部分しか使っていません。重厚な木と繊細なフレームの強いコントラストにより、阿蘇の草原のような軽快さと風通りの良さを表現しました。南小国にある自然環境を切り取って家具に落とし込むことで、都心であっても「FIL」の家具を使う方々に南小国の町を感じてもらいたい。一番嬉しいのはネットや都心の店舗で家具を購入した方が実際に南小国に遊びに来てくれることです。家具を作った背景を共有したり、一緒に風景を眺めて共感してもらったりしながら時間を過ごす中で、“第二町民”のような存在になって、南小国のファンになってくれるんです。プロダクトをきっかけに南小国まで足を運んでもらうことで土地の豊かさがより深く伝わると実感しています。
南小国という町を介して結ばれる縁、密で真摯なクリエイティブの姿勢
ー洗練されたビジュアルが印象的な「FIL」や「喫茶 竹の熊」。一番力を入れた部分は?
穴井:通常のデザインを活用した地域活性の取り組みは一発花火で終わるものも多いですが、そうはしたくなかったんです。小国杉という地域資源を使い、世の中に訴えかけるようなブランドを、ひいては経済的にも持続可能な組織を作っていかなければいけない。そこでブランド全体のあり方をしっかりと伝えるために、最も注力したのがブランディングでした。建築物と同じようにブランドを作る際にも必ず「棟梁」が必要なので、知人に相談して会社やクリエイターを紹介してもらい、クリエイティブチームを発足しました。
ー海外メディアからの注目度も高いと思いますが、工夫されたことはありますか?
穴井:ブランドに説得力を持たせるためには、運営者の成長も不可欠です。「FIL」をローンチするまでの1年間は夫婦2人で、クリエイティブチームのメンバーのレベルに釣り合うために必死でした。どんなに素晴らしいクリエイターに携わってもらっても、直接運営する私たちがブランドに見合うスキルやセンスを磨かずに完全に丸投げしていたら、ブランドの成長も止まってしまう。組織の底上げができるように海外のデザインやメディアなど、世の中のクリエイティブなものをひたすらインプットしました。
ー一緒に仕事をするクリエイターとは結果的に仕事以上の関係になっているそうですね。
穴井:依頼したいクリエイターさんは必ず南小国に招待して、実際に町のあり方を体験してもらうのがこだわりのひとつです。阿蘇の草原から、私たちの家族、林業の現場まで見学してもらい、黒川温泉の観光や地域の人の営み、食にも触れてもらう。ネット上には落ちていない暗黙知の情報は実際に来てもらわないことには伝わらないので、肌で感じたものを形に落とし込んでもらうんです。結果的にローンチ後も気にかけて遊びに来てくれたり、家族ぐるみの仲になったりと相当濃い関係ですよ。皆さん、南小国のファンになってくれます。
ー「FIL」や「喫茶 竹の熊」から繋がり、就職のために南小国に移住する若年層も増えているとか。
穴井:今後を見据えて経済的にもスケールできるような持続可能な組織を作っていくためには、町全体の雇用も増やしていかなければいけないので、本当にありがたい限りです。小学生の息子の同級生が「喫茶 竹の熊」をのぞきに来たときに「大きくなったらここで働きたい」と言ってくれるのが何よりも嬉しいです。
深い繋がりがもたらす豊かさに触れることで“足るを知る”感覚を体験できる
ーそんな穴井さん自身が考える「満ち溢れた生活」とはどんなものですか?
穴井:「自然と人」との繋がりが自分の住む環境の中に密接にある状態はすごく豊かだと感じます。私は大学卒業後に東京都内のコンサルティング会社に一度就職したのち、ヘブライ語を学びにイスラエルへ留学しました。その後、家業を継ぐために2016年に帰郷したのですが、周囲に山や田んぼしかない南小国で暮らし始めると、どの山もどの田んぼも、手入れしている人の顔が浮かぶんです。夕方になると田んぼに水がなくなるので、水を入れて水温を確かめ、また家に戻る。山が荒れてるときは管理している人に何かあったのではないかと思いを馳せる。自分自身の生活だけにフォーカスするのではなく、身近な環境や目の前に広がる景色、全てのものに生かされているという感覚が芽生え、感謝が湧く環境で生活できることが私にとっての豊かさですね。
ー「自然と人・人と人」の繋がりという意味で、穴井さんが地域との関わりで意識されていることは?
穴井:地域にとって一番の貢献に繋がるのではないかと思い、次世代である子どもたちのためにどう時間を割くべきかを常に考えるようにしています。一番身近な次世代として、息子たちのイベントにはかなり優先的に時間を割きます。運動会の準備など、親が関わるチャンスがあればほぼ出席しているんじゃないかな。経営者としての立場と親としての立場では地域への貢献の仕方が変わってくると思いますが、今はどちらも大事にしたいです。
ーものや情報に溢れた都心で忙しなく生きる人々が“本当の豊かさ”に気づくきっかけを得るにはどうすればいいのでしょうか?
穴井:目に見えないものといかに繋がれるかも豊かさにとって重要な気がしていて。都心にいても、心惹かれるプロダクトを手元に置き、マテリアルに触れ、産地に思いを馳せたり、自分の内側と対話したりすることで「自分にとって何が一番大切か」を改めて認識する時間は、誰にとっても必要なのではないかと思います。
そのためには身の回りにある物事や関わる人に対して深く興味を持って、丁寧に繋がりを持つことで「人間ってそこまでものや情報に溢れていなくてもいいんだな」という“足るを知る”感覚を体験してほしいです。
ー最近でいうミニマリストとは似ているようで違うニュアンスに感じますね。
穴井:そうですね、単にミニマムさを求めることとは別の感覚です。私自身の話でいうと、人との繋がりにおいてはとても濃い関係を求めています。「この人とは人生をかけて物事を進めたい」と思える相手とは積極的に関わるし、より深い交流をして濃い繋がりを作りたい。なので「FIL」のプロダクトがそういう繋がりのきっかけになれば嬉しいです。さらに南小国の自然を実際に体感してもらえたら喜ばしいことですし、“足るを知る”ことで自分にとっての“本当の豊かさ”の答えに近づいてもらえるのではないか、そんな気づきを与えられるブランドでありたいと願っています。