200年以上の歴史を持つ「播州織」の産地、西脇市。市街地から10分ほど車を走らせたところに大城戸織布は位置する。
73年の歴史を持つ大城戸織布は、ドビー織機での生産が主流の播州産地では珍しく、ジャカード織機をメインに生産を行っている。
使用する糸も天然繊維から合繊、さらには和紙糸/金属繊維など、多彩な糸を駆使することで極めて個性的な生地を産み出しているメーカーだ。
代表の大城戸祥暢氏は、大手繊維商社に10年ほど勤めた後に、家業を継ぐ形で西脇市に戻ってきた。その際、売り手と作り手の違いに直面し、大きな衝撃を受けたという。
「ようこんな生地のこと知らんでモノ売ってたなと、ショックやった。」(大城戸氏)
繊維商社時代、「生地をどれだけ売るか」という環境で汗を流してきた大城戸氏にとって、実際に工場で生地をゼロから作るのは、全く未知の世界だった。
新しい生地を作る際、商社時代は感覚で工場にイメージを伝えていたそうだ。だが作る立場に回ると、理想の生地を作るためには、糸の密度や糸使いなど、様々なファクターが絡んでくるということを知った。
大城戸氏はそのギャップに何度も挫折しかけたが、下請け工場として愚直に糸や機械と向き合った。そんな経験を積むにつれて、自分しか持っていないノウハウが出来ていることに気づき、徐々に自社販売を行うようになったそうだ。
下請け工場としての仕事をやめるということは、商社を通さないということだ。
ある意味商慣習を無視した大城戸氏の行動には、批判もついて回ったという。
また、自社独自で展示会に出展するためには、豊富なバリエーションの生地を用意する必要があったため、売れる確証が得られないままリスクを取ることに対して日々葛藤があったそうだ。
何かうまくいく方法がないかと模索している時、自社の家庭洗濯機で洗いすぎてクシャクシャになった生地が目に入った。展示会前日に意図せず出来上がったこの生地を、大城戸氏は「笑いのネタにでもしよう」という気持ちで展示会に持っていったところ、思いの外バイヤー達の好評を得て、大きな受注になった。その体験が、「他では見られない一風変わった生地」に現在も挑戦し続けるきっかけとなった。
生地の製造工程では、出来上がった生地の糊を落とすため一度洗いにかける。この洗い工程で生地が縮むため、引っ張って熱を加えたり、薬品を使用しシワを伸ばす等の様々な加工作業を行うのが一般的だ。
しかし、大城戸織布では極力自然な状態を保たせるため、必要最低限の不純物を洗い流すのに留めているそうだ。
「他所でやってるシワ伸ばしは、俺からすると『強制化粧』。ウチの製品はデニムのそれと似てて、買ってしばらく経ってからジワジワと良さに気づくから、『3年殺しの生地』と呼んどる。」
大城戸氏の機屋としての最たるモチベーションは、展示会でバイヤーからたくさん受注をとることではない。客先であるブランドさんが同業のライバルでもある出展者から「なんだこれ?」と言われるものを作ることだ。「これ、どうやって(何処で)作ってるの?」という会話を引き出せるようなモノづくりを徹底している。
未来の「繊士」を育てる
大城戸織布には現在2人の女性弟子がいる。彼らは大城戸氏の指導のもと、企画から出荷まで、生産にまつわる工程すべてを経験する。デザインを考え、織機、加工機を動かし、梱包し、請求書を書く。すべてにおいて自分の手を動かすことで、1枚の生地に込められた手間と労力を脳と身体に叩き込む。
単なる従業員ではなく、未来の職人となるための指導が行われるため、常に前のめりの姿勢が求められる。
「この間、弟子が俺の言ったことに対して言い返してきたことがあった。それが(今の)正解や。」(大城戸氏)
師弟関係にあるものの、対等に壁打ちをすることで新たな発見が生まれる。「なぜ?」を繰り返し、自問自答することで究極のモノづくりに近づいていく。これが大城戸氏のもつ、機屋の哲学だ。
「これからの繊維産業には『女子力』が必要やと思ってる。」
明治維新後、日本の繊維産業は「女工」の手によって国の産業の中核となった。大城戸氏は、繊維産業をこの現代において更に発展させるためには新たな女子力が必要だと語る。大城戸氏が見落としてしまうような些細な部分も、弟子達は見逃さない。
大城戸氏は、「繊士(せんし)」を育てて繊維業界を発展させたいと語る。
「温新知故」〜新しきを温めて故きを知る
工場内を見学していると、織機の下から二本の腕が動くのが見えた。弟子が織機の掃除をしていたのだ。
大城戸織布では、毎日自分達の手で機械のメンテナンスを行う。そうすることで、機械の構造について毎日小さな発見が生まれるというのだ。そうした発見は、機械をカスタムして新しい生地を産み出すインスピレーション源となり、オリジナルの技術として昇華されていく。
古い織機をいま見ると、先人達が常に新しいものを作り出そうとしていたチャレンジ精神が垣間見えると大城戸氏は語る。新たなパーツを調達して取り付けることで先人の知恵と現代の技術が紡がれ、イノベーションが生まれるのだ。
「機械類はなぜメーカーから買わずにご自身で開発するんですか?」(宮浦氏)
―「メーカーから買うと、すぐ真似される。ウチで作れば、そう簡単には真似されへん。」(大城戸氏)
工場の壁に目をやると、そこには工具が綺麗に整頓された状態で取り付けられている。噂によると工具や部品を乱雑に置く工場も少なくないらしいが、大城戸織布はこういった細かいところまで徹底する。
「万物に神が宿る」として、日本は古来からモノづくり文化を発展させてきたが、これはまさにその象徴とも言えるだろう。
「連れションせずにNo.1を目指す」大城戸氏の哲学
「人と違うものを作りたいというマインドは、昔から持っていらっしゃったんですか?」(宮浦氏)
—「ある。小学校の頃から連れションが嫌いなんや(笑)。」(大城戸氏)
人と同じことはせず、自分自身に焦点を置いて生産を続ける。常に「自分がトップにいる」という精神を持ち、視座を高めることで必然的に足りないものが見つかるという。
「仕事していて、一番やりがいを感じるときはいつですか?」(宮浦氏)
—「生地ができた時だけ。生地ができる前は、『遣るんじゃ~なかったシンドローム』が発生するねん(笑)。生地を思うように作れないときは途中でいつも投げ出しそうになる。」(大城戸氏)
大城戸氏は常日頃からFacebookなどのSNS投稿を行なっている。大衆に迎合した内容ではなく、機械に関するマニアックな投稿が大半だ。
そうした投稿を続けると、全国各地で同業者から反応が来て知り合いが増えていく。大城戸氏はそのコミュニティを「OKD(オオキドの略)ネットワーク」と呼ぶ。
昔の機械やモノづくりに関する知恵を持った人が少なくなっていく中、「今しかその伝統を発展させるきっかけは作れない」と考える大城戸氏は、OKDネットワークを通じて情報や知恵を発信するのだ。
「『播州産地』としてではなく、『全国産地』として取り組むことでファッション業界はより面白くなると信じてる。ファッションがほんまのパッションとして活きるのはこれからや。」(大城戸氏)
常に未知の領域に飛び込み、挑戦を続ける大城戸織布。
先人達の知恵と現代の技術を組み合わせ、繊士とともにファッションの未来を切り開いていく。