わたしのための、遊び心。

桜の花びらと入れ替わりで元気いっぱいに芽吹いた新緑は、澄んだ青空によく映える。

日比谷公園、噴水前。4月の終わりとは思えない暑さだ。オフィス街の一角に広がる憩いの場は、空が高く、都会のなかにモダンな自然の景観を残している。昼過ぎに立ち寄ると、噴水を遠巻きに囲むベンチには勤め人らしき姿が目立った。ランチタイムを兼ねた休憩だろうか。どこか皆、所作が急いている。連休前に片付けたい仕事を抱えているのかもしれない。

ふいに右側から、一人の青年が前を横切った。紺の無地ジャケットに、紺のスラックス姿が記憶に残る。パンツにだけピンストライプが入り、同じネイビーといえど上下でやや異なる色味。無難なスーツと見せかけた着崩しに興味を惹かれ、その姿を追った。青年は噴水の向こう側で、ベンチに腰かけてサンドイッチを食べている。上着を脱いでシャツ一枚、清潔感のある爽やかで端正な顔つきには、心なしか余裕が見てとれた。……妙だった。彼は黒のパンツを穿いていた。タックはなく、どかんと落ちるカジュアルでワイドなシルエット。先ほど紺色に見えたのは、陽当たりによるものだったろうか。しかしピンストライプすら見る影もない。まるで、瞬時に着替えたかのように印象が異なる。おまけにジャケットはどこだ。そばにはミリタリー柄の何かが畳まれているが……。ふいに噴水が稼働した。水流は空に向かって曲線を描き、うっすら汗の浮かんだ肌に、瑞々しい涼しさが運ばれる。と、青年が立ち上がった。再び紺のジャケットを纏い、先ほどやってきた左の道へと歩く。横切ったその後ろ姿はまたも印象を違える。グレーの生地に赤と青のストライプが入ったパンツは、シックな上品さが匂い立つ。

青年が穿くのは、ジュンヤワタナベコムデギャルソンマンのウールスラックスパンツだ。前身頃はマットな黒色で、後見頃は左足が紺色、右足がグレーと、それぞれ別のストライプ生地。着用者の姿勢や角度によって、まるで印象は変わるだろう。25歳の彼は大手飲料メーカーの入社3年目、マーケティング部に属している。明確な規則こそないが社内はスーツ推奨で、同僚も上司も、男性社員は皆、シャツにジャケットとスラックスで勤務する。彼も最初は入社祝いに買ったスーツで出勤した。着るたびに仕事に対する意欲が沸き、トイレの鏡前に立てばピカピカに輝いて見えた。しかしすぐに色褪せた。日々の忙しさにかまけ、ハンガーに吊るすことなく部屋で脱ぎ捨てたものを、翌朝に皺のついたまま羽織る。生地は毛羽立ち、スーツを着ること自体が「仕事に行きたくない」という念を抱かせるまでになった。

 つまらないと思った。このスーツは脱ごうと決めた。仕事着に遊び心を求めたが、社会人として逸脱は難しい。新宿にある百貨店の紳士服売り場を見て回り、今のスラックスに出会った。衝撃を受けた。フォーマルなシルエットに、高級感漂うオーセンティックな生地を三つも組み合わせている。試着してさらに驚いた。立つ角度によってまったくイメージが変わるなんて。同じ一本のスラックスなのに……。

購入して以来、彼は会社で穿いている。同じフロアで買った紺のジャケットとよく合わせる。目の前に立って話す上司にも、左後ろからこちらを窺う部下にも、右後ろから呼び止めてきた同僚にも、どの方向から見られようと、穿いているのは一般的なスラックス。相手からすれば一つの見え方でしかない。だけど彼にとっては、同じ日に、一着の服で、三つのファッションを楽しんでいる。特に意味はない。単なる遊び心。彼は他人に見られたくて、「オシャレだね」と言われたくて、服を着るわけではない。自分のために服を着ている。誰かの目を気にすることなく、フォーマルな装いに擬態して、心のなかで楽しんでいる。おかげで心にゆとりが生まれた。会社で過ごす時間が面白くなった。

そして退勤時。オフィスを出て、エレベーターを降りた彼は、エントランスを歩きながらジャケットを脱ぐ。両袖を裏返し、裏地を露にして羽織り直す。ミリタリー柄のパッチワークのジャケットに変貌する。コムデギャルソンオムのパッカリングジャケットだ。同ブランドが得意とするインサイドアウトの手法で作られた、リバーシブル仕様。ジャケットを裏表、逆にすれば、もはや別人の装いである。オシャレだなと自分だけで思う。今日は別にデートでも、大事な用事があるわけでもない。てきとうな居酒屋のカウンターで軽く引っかけて帰るだけなのだが、ビールの旨さが格段に違う。

2023年4月 日比谷
松澤くれは

ジュンヤワタナベマン&コムデギャルソンオムのスーツ