「ずっとファッションに憧れていた」。靴作りのプロから服作りの素人へ
靴業界には入りたくなかった――。戦前から靴作りが盛んな浅草で生まれ育った小林氏に「GENERAL RESEARCH」立ち上げまでの経緯を聞くと、やや意外な答えが返ってきた。補足しておくと、小林氏は製靴業を営む父から靴の作り方を教わり、製法を学ぶためにイタリアに渡った靴作りのプロだ。
「僕が思春期を過ごした70年代は、ドラマ『傷だらけの天使』の雰囲気に代表されるようにDCブランドブームを予見するような流れがあったんです。ファッションがきらきら輝いて見えた時代でしたね。その影響もあり、僕は靴工場の泥臭い世界よりも、ファッションの世界にずっと憧れていました。で、高校を卒業したその週にイタリアに行ったんです。とにかく外の世界を見たくて、地元にいたくなかったから(笑)」
帰日してからは各ブランドのショーに使われる靴の製造を10年以上に渡って手がけた後、93年にシューズブランド「SEtt」を立ち上げる。そのコレクションは海外のバーニーズニューヨークにもセレクトされたほど。それでも10代の頃から抱き続けた「洋服側でファッションの仕事がしたい」という思いは消えることはなかったそうだ。当時盛り上がり始めた裏原系と呼ばれるブランド勢のもの作りを垣間見ることで、その思いはさらに膨らんでいったという。
「ジョニオ(高橋盾)君の周りの裏原系と呼ばれる子たちの特徴はミシンじゃなくて、Macが事務所に置いてあること。それは従来の洋服屋との大きな違いだったと思います。グラフィックもそうだし、音楽、スケートなどカルチャーにまつわるものばかりに興味が向いている感じ。当時世の中を席巻していたアパレルメーカー的な服作りのノウハウは知らないけど、何がかっこいいかについて彼らにはハッキリした意見があった。自分の好きなもの、生活の真横にあるものから服作りを始める感じは、自分がやりたいことにも通ずるなと思いましたね」
裏原宿のムーブメントの原初的なスピリットに共鳴しながら、小林氏がファッションにおける初期衝動を初めて形にしたのは1994年。新たに立ち上げた「GENERAL RESEARCH」の処女作、トグルの代わりに革ベルトを縫い付けたダッフルコートだ。厳密に言えば、縫い付けるのではなく、ベルトの端部を3つの鋲で打ち付けている。今でも同ブランドを代表するアイテムとして語られる機会が少なくない。
「ダッフルコートというすごくトラッドなアイテムに、革ベルトみたいにザラッとした質感を足すと面白そうだというイメージは最初にありました。ただ自分は靴屋なので、革や鋲は手元にいくらでもあるけど、肝心のミシンを持ってない。なので、この方法以外やりようがなかったという面はあります。大変なのは量産する時。洋服屋さんが頼むような工場には鋲を打つラインがないから、サンプルを作って注文取ったあとで、受けてくれる工場を探すのがひと苦労でした(笑)」
デザインではなく、カスタム。DIYの手法は未だ健在
今思い返せば、何も知らずに服作りを始めていたと当時を振り返る小林氏。既存のものに手を加える手法で製作したダッフルコートの数年後には、さらにひと味違うアイテムを世に送り出す。「無数のポケットが洋服に寄生する」というコンセプトを掲げた“Parasite(パラサイト)”シリーズだ。
「あの当時考えていたのは、メンズの洋服としては着るのが少し厄介なアートコンシャスなコレクション。それでも日常生活で着られるギリギリの線を突いたつもりです。当時の自分の功名心もありましたし、いわゆるアメカジのカテゴリーに収まらない次元の洋服を表現したいという欲求もありましたね」
ダッフルコート、パラサイトシリーズのいずれもデザイナーというより、編集者に近い視点で作られたアイテムとも形容できる。その視点は何度か訪れたロンドンの地で見聞きした経験にも由来していたそうだ。「80年代の後半に、ロンドンでパトリック・コックスとかジョン・ムーアといったシューズデザイナーがファッションシーンを引っ張っている時期があったんです。いわゆるイギリスの伝統的な革靴のアッパーを、彼らがハサミで切ったり貼ったりする様子を実際に現地で見せてもらったことがあるのですが、本当に革新的でした。靴のデザイナーは木型に線を引くか、靴のデザイン画を描くかのどちらかだと思っていたから。あのやり方を見て、『そうか、既存のものに足し引きする発想でいいんだよな』と腑に落ちたことはよく覚えていますね」
そのせいもあり、「. . . . . RESEARCH」の事務所には洋服のデザイン作業には欠かせないミシンやトルソーは今でも見当たらない。大量のサンプルとアーカイブが山積みにされた様子はブランドのアトリエというより、ヴィンテージディーラーのストックルームのようだ。
「テクニカルな方法で洋服を作りたいと思ったことは過去に一度もありません。結局、デザインというよりはカスタムに近い手法で作っているんですよね。山用のウェアもバイクウェアもブランケットも全部そう。基本的にベルトやポケットを付けたり外したりすることでしか、ものが考えられないんでしょうね(笑)。既存のものに少しだけ手を加えて、そのもの本来の方向性は変えずに意味をツイストさせる。靴屋出身の自分ならではの洋服の作り方なんだと思います。今となっては、洋服畑の出身の人とは少しだけ違う自分ならではのポイントだろうから、このやり方にたどり着けたのは幸せなことだったなと思います」