
左:浅野雅己さん 中:梶原加奈子さん 右:塩治夏子さん
変革期にある帝国ホテルが立ち上げた、生産者と消費者をつなぐ新事業
ーまず「ANoTHER IMPERIAL HOTEL」設立の経緯を教えてください。
塩治:帝国ホテルは現在、帝国ホテル 東京の建て替えや、京都での新たなホテルの開業を控えています。そういった変革期にある中で、お客様との新しい接点を作れればと考え、「ANoTHER IMPERIAL HOTEL」をオープンしました。
アイテムは当社のシェフやソムリエ、バーテンダー、アイテムの仕入れ担当といったスタッフたちが選定していて、現在は55ブランド、150商品ほどを取り扱っています。各地に足を運んで生産者の方から直接伺ったストーリーと共に、日本各地の良いモノをお客様にご紹介できればと考えています。
ー帝国ホテルと梶原さん、そして浅野撚糸はどのようにして出会ったのでしょうか?
塩治:色々なブランドや人とのコラボレーション企画をしていく中で、ご紹介いただく形で梶原さんには出会いました。日本全国の良いモノをご案内しながら、生産者とお客様をつなぎ、地域を盛り上げていきたい、というサイトのコンセプトをお話したところ、梶原さんも同じようなことを考えていたことを知り、取り組みがスタートすることになりました。
梶原:デザイナーとして、日本の素材を世界に発信するといった活動を行っていることもあり、「ANoTHER IMPERIAL HOTEL」の理念や想いには個人的に共感するところも多くありました。そうした中で、帝国ホテルさんと企画を進めるにあたり、まず考えたのは浅野撚糸さんが製造している「SUPER ZERO」の素晴らしさを伝えたい、ということでした。昔から素材として使っていて、直近では共同で取り組みもさせていただいている浅野撚糸さんの活躍も商品と同時に伝えたい、と帝国ホテルさんとは話していました。
浅野:梶原さんは東京都にご紹介いただいて、2年ほど前から一緒に仕事をさせていただいていますが、それ以前から20年近く弊社の糸を使っていただいています。
我々はよくタオル屋と間違えられますが、目指しているのは撚糸を起点に、我々の存在を世界に発信し、ハイメゾンをはじめとする海外企業に我々の素材を使ってもらうことです。そのために、南青山の地に「SUPER ZERO Lab.」を立ち上げたり、東日本大震災で被災してしまった福島県双葉町の復興と発展を担う一翼となる工場「フタバスーパーゼロミル」を新設したりといった活動を行ってきました。
ただ、我々には海外企業と仕事ができるようなコネクションも組織も存在していなかった。そういった中で、弊社の糸を熟知してくれていて、世界のハイメゾンとの繋がりも持っている梶原さんと出会えたのは、非常に重要な出来事だったと考えています。
ー梶原さんと浅野撚糸との取り組みには、具体的にはどういったものがあるのでしょうか?
梶原:一つは「SUPER ZERO」の糸と、この糸で制作した生地のコレクションを欧州のハイメゾンに向けて販売しています。また、ASANO KANAKO KAJIHARAというブランドを立ち上げ、製品も作っています。「SUPER ZERO Lab.」やECサイトでの物販だけでなく、一緒に取り組みを行いたいと言ってくれる企業さんのOEMとして製品を作ることもありますね。今年の1月からは、中国のセレクトショップ「B1OCK」のディレクターの方から打診を受け、「SUPER ZERO Lab.」を常設店として出店しています。
浅野:「SUPER ZERO Lab.」は、商談を行う場所としても機能しています。日本に来たハイメゾンの方々を中心に、様々な企業の方と我々の糸や生地、そして製品を見て、その価値を感じてもらいながら、どのように扱っていこうかといった具体的な内容を梶原さんたちと一緒に詰めています。帝国ホテルさんも「SUPER ZERO Lab.」で商談を行いましたよね。

SUPER ZERO Lab.には「SUPER ZERO」の糸を使用した梶原さんの製品等が並べられている
塩治:そうですね。日本の良いもの、歴史あるものを感じられるこの場所で、ローンチ時のポップアップイベントも行いました。
帝国ホテルの新しい一歩として、これまでとは異なるスタイルでサイトの世界観や取り扱う商品の発信をしていければと思ったためです。

ローンチ時のポップアップイベント(写真提供:帝国ホテル)
浅野:実は帝国ホテルは新婚旅行で宿泊した場所でもあります。そんな帝国ホテルさんが、ただの町工場出身の我々とモノ作りを行なってくれたり、「SUPER ZERO Lab.」でイベントを実施したりする、という話を聞いた時は、正直何が起きているのかよく分かりませんでした(笑)。帝国ホテルさんの中でも大きな挑戦だったと思いますし、我々としても憧れのホテルと一緒に取り組みを行わせていただくのは大きな自信になりました。
「SUPER ZERO」を活かして開発した、「今までにない柔らかさ」のタオル
ー3社で共同開発をしたタオル製品である「ENISHI」は、どのようにして開発されたのでしょうか?
梶原:浅野さんと初めに開発したのは「KASUMI」という商品だったのですが、このタオルはしっかりとしながらも、もっちりとした触感のタオルを作りたいというコンセプトのもと制作しました。特別な糸をベースに、タオルの中では珍しい糸使いで作ることで、少しぼかしたような、ささやかな華やかさがある独特な色合いを持ちつつ、カスミソウの花のように、繊細でありながら広がりのあるタオルに仕上げました。
その後、帝国ホテルさんと色々と話をしていく中で、使いやすく、触った時に「SUPER ZERO」の撚糸の柔らかさが際立つような軽いタオルを作ろう、という考えに至り、「ENISHI」を開発しました。糸を少し太いものに変えたり、「超無撚糸」という新しく開発されたものを活用したりすることで、通常の「SUPER ZERO」よりも少し柔らかさが出るようにしています。

「ENISHI」と「KASUMI」
浅野:糸はフタバスーパーゼロミルで1年かけて開発したもので、言うなれば綿と糸の境界を狙ったタオルです。非常に柔らかいのですが、毛羽立ちせず、長持ちするのも特徴です。
梶原:仕様試験を何度も繰り返しましたが、使い続けてもフワッとした質感をキープできていますし、お客さんにも今までにない柔らかさだと思っていただける自信があります。
デザイン面では「ANoTHER IMPERIAL HOTEL」のブランドカラーを使いながら、帝国ホテルさんの今までの伝統の中にある要素を引き出す方向性で考えていきました。そこで活用したのが、帝国ホテルの設計にも携わった建築家のフランク・ロイド・ライトさんのデザインでした。ライトさんのデザインを可能な限りシンプルな形に落とし込み、四角いマスのデザインで人と人が交わることを強調しつつ、畳んだ時には贈り物に添える飾りである“のし”に見えるようにしています。「ENISHI」という名前は「ANoTHER IMEPERIAL HOTEL」のコンセプトから選んでおり、この商品を起点に人々が繋がっていき、また次に結ばれていくような取り組みになれば良いな、と思います。
塩治:最初は日常に取り入れやすく、ギフトとしての需要もあるタオルからスタートしましたが、今後はタオル以外の商品も展開することで、別の視点から浅野撚糸さんの「SUPER ZERO」をはじめとする日本の技術の素晴らしさを伝えていければと思っています。
繊維業界の「自信を取り戻す」きっかけに。人と人を「つなぐ」ことの価値
ー「ANoTHER IMPERIAL HOTEL」は、各地の生産者や消費者を「つなぐ」側面も持っているかと思いますが、「つなぐ」ことにはどのような可能性があると思いますか?
梶原:私は今でこそ、テキスタイルデザイナーとして日本の素材を世界の企業とつなぐ仕事をしていますが、もともとはつなぐことを主目的にスタートしたわけではありませんでした。その中で現在のような活動をするようになったきっかけは、海外からの日本の評価と日本国内の空気感の違いでした。海外から日本を見ると、日本には素晴らしい文化とこれまでに培われた日本人の気質から生まれる技術の素晴らしさがあり、憧れの存在として評価されていました。
一方で日本国内から産業を見ると、素材・テキスタイルの中心地がアジアの方に移り始めていて、日本は価格の高さなどから周囲から批判を受け、雇用も徐々に縮小している状況でした。「良いものを作っているのに、どうして残そうとしないのだろう?」と悔しい思いがでてきたのを覚えています。
そうした思いから、日本の素材が素晴らしいと思っている人がたくさんいることを産地の方々に知ってもらい、これからも頑張っていこうと思ってもらえる世界を作ることが何よりも重要だと考え、今の活動に至っています。つないでいく時には後一歩何かが足りない、という場面もありますが、そういった際にデザインという行為の中にある発想力や表現力が役立つこともあります。そういった意味で、「つなぐ」ことはデザイナーとしてのやりがいの1つにもなっているように思います。
浅野:中国を筆頭に、一気通貫のモノ作りが海外で行われている一方で、日本は分業がメインであり、我々の撚糸というビジネスも全体の中のほんの一工程にすぎません。そういった中で「つなぐ」ことは非常に重要で、梶原さんをはじめ色々な方とつながることで、いい製品ができているなと感じています。
そうして生まれたいい製品をどう発信していくのか、といった点も重要となりますが、今回のように、帝国ホテルさんという世界に認知されている企業とつながることで、グローバルに発信していくこともできる。我々のような企業だけではできない製品作りや世界への発信が、「つなぐ」という行為によって可能になっているんです。
日本の繊維産業は、一説には99パーセントが輸入品と言われており、自信を失っている状況にあります。そういった中で梶原さんのようなテキスタイルデザイナーや帝国ホテルさんをはじめとする世界的な企業とつながっていくことは、自信を取り戻すきっかけにもなるなと思っています。
塩治:各地の生産者の方に直接話を伺うことで、多くの方がそれぞれの信念のもと素敵なものを作っていて、次世代に受け継ごうと考えていることが分かりました。しかし一方で、なかなかお客様に伝えるきっかけが少ないという話もありました。そうした中で、第一歩として作り手とお客様とのつながりを作っていこうという考えが「ANoTHER IMPERIAL HOTEL」のスタートの背景にあります。
また、このプロジェクトが作り手の方同士のつながりも作って行けたらとも思っています。実際にローンチイベントをきっかけに、ブランドの方同士がつながり、新たな取り組みに発展しつつある、といったケースもありました。
そうした作り手とお客様のつながりや、作り手同士のつながりを通じて、ゆくゆくは商品を購入したお客様が産地に興味をもち、実際に訪れてもらうことにつながっていくと良いなと思っています。作り手とお客様がつながり、今度は産地とお客様がつながることで、地域が盛り上がる。そういった地域貢献のきっかけを最終的には提供していきたいです。
「つなぐ」ことの本質は、どちらか一方に肩入れするのではなく、お互いにとって価値のある関係を築くことにある。梶原さんはそう話していた。
日本語の「人間」という言葉が示すように、私たちは“個”としてではなく、「人と人との間柄」の中で生きている。人と人とのあいだをうまくとり持つ力、「間(ま)」を読む感性は、「三方よし」を掲げた近江商人をはじめ、日本人が大切にしてきたもののひとつかもしれない。
いまは、検索やレコメンド機能が進化し、必要な情報や選択肢が自動的に提示される時代。
便利になった一方で、マッチング理論の観点から見れば、「安定」と「公平」の両立はむずかしく、すべての人が等しく満たされる関係は、理論上存在しないとも言われている。また、統計的差別のように、データが導く“最適解”が、必ずしも人にとっての“最善”とは限らない現実もある。
だからこそ、「つなぐ」ということの意味は、これからもっと大きな価値をもつのだと思う。
データやアルゴリズムには映らない微妙な気配を感じ取りながら、誰かに偏ることなく、押しつけることなく、調和のとれた関係をそっと編んでいく力。それは、きっと人にしかできないことだ。
そして、そのような「つなぐ力」が、これからの社会を、ゆっくりと、でもたしかにかたちづくっていくのだろう。