はじまりは父から受け継いだ縫製工場
モンナトリエのルーツは、1967年に田中さんの父が岐阜で創業した森縫製所。田中さんはこの縫製所を2006年に受け継いだ。
「当初は日本人のパートさんを中心に働いてもらっていましたが、日本の働き方の変化から、パートの方だけでは賄えなくなり、外国人技能実習生の方を受け入れる体制にシフトしていきました。ただ、当時は実習生の方も3年で帰国してしまう形だったので、人の入れ替わりのタイミングで生産性やクオリティが変わってしまうといった課題がありました」と田中さんは当時を振り返る。
そうした中で、2015年にTAKISADA TECHNICAL SUCCESSORと共に、愛知に縫製工場を設立した。
「瀧定さんからよく仕事をいただいている中で、今後どうしたら良いのかといった相談を常日頃からしていた延長線上で、一緒に工場を立ち上げないか、という話になりました」と田中さん。
数ある縫製工場の中でも、なぜ瀧定は協業相手として森縫製所を選んだのだろうか。堀口さんはその理由について、「人を育てる風土だ」と説明する。
「森縫製所は、技能実習生を受け入れている工場さんの中でも、実習生が帰国する際には一着をちゃんと作れるような状態にするなど、人が変わってもちゃんと育てる、といった考えや取り組み、そしてノウハウがあると一緒に仕事をしていた中で思っていたので、次の未来に向けた工場を一緒に作れないか、というお話をさせていただきました」(堀口さん)
2017年には「日本人を単なるワーカーではなく、技術者としてしっかりと育てていく」という考えのもと、技能実習生に合わせて作られていた従来の雇用形態の見直しなどを行い、フランス語で”私のアトリエ”という意味を持つモンナトリエを社名に冠し、スタートした。
「人を集めるのは大変だと聞いていたのですが、いざ募集をかけてみると、意外と集まってくれて。縫製に興味のある子たちはたくさんいるんだな、と実感しました。専門学校出身で、パターンからデザイナーさんの意図を読み解く力を持っている方が多く、非常に心強いなと思いました」(田中さん)
国内有力ブランドが評価する高い技術と対応力
しかし、設立当初から順風満帆だったわけではないようだ。
「ビジネスがなかなか軌道に乗らない時期が3〜4年ほどありました。ただ、スタッフの成長ははっきりと確認できていたので、いつかは必ず実になるという確信もありました。今ではスタッフの子たちが成長し、さらには実習生をまとめ上げて育ててくれるようにもなっています」(田中さん)
スタッフの成長だけでなく、新しい技術の取り込みも行われている。2〜3年前からメンズテーラー出身の職人が瀧定経由で常駐。ドレスの技術もモンナトリエに備わり、制作できるアイテムの幅を広げている。
「共同事業を行っている目的の1つに、瀧定スタッフの現場力の向上もあります。当社のスーツ職人の常駐は、モンナトリエさんだけでなく、我々の技術やノウハウが向上することになった1つのモデルケースになりました。今後もこの取り組みは加速させていくつもりです」(堀口さん)
スタッフの成長や技術の拡張もあり、世界で活躍する国内の有力デザイナーブランドとの取引を着実に増やしていったモンナトリエだが、「特にサンプル対応力が非常に高いと評価してもらっています」と堀口さんは語る。
「どのスタッフも丸縫い(1人ですべての工程を仕上げること)ができるような育成がされているので、短納期でのサンプル制作が可能です。他にも丸縫いができる工場はありますが、Tシャツだけ、スカートだけ、などアイテムに制約があるところが多い中で、カジュアルやドレス、そしてカジュアルとドレスのハイブリッドなど、様々な衣服の丸縫いが可能な工場はほとんどないと思います」(堀口さん)
多くのスタッフが丸縫いできる背景には、モンナトリエの一気通貫でアイテムを制作する体制や、「流し縫い」と呼ばれる1着ごとにアイテムを仕上げていく縫製手法がある。
「製造工程に関しては、瀧定さんに招聘していただいている地場のプレス屋さん以外、基本的には内製化していて、プレス屋さんも工場の敷地内に入ってもらっています。分業している工場さんも多いのですが、一気通貫で各工程を現場でチェックし、必要に応じて都度修正することでクオリティーを担保できますし、スタッフの子たちもそれぞれの工程を見ることができるので成長面でのメリットも大きいのかな、と考えています」(田中さん)
「流し縫いに関しては、堀口さんに教えていただいたものの、大量にミシンが必要で、当時の工場が今よりも小さかったこともあって最初は断念していました。ただ、一度試してみたところ、ロット不良の改善もできる上に、スタッフの新しい一面も見られたこともあり、より大きなスペースを確保できる場所に工場を移した段階で採用することにしました。スペースの制約を除けば、品質管理や生産性上、デメリットはほぼないと思っていますし、私たちのような比較的少人数で運営している工場で採用することで、スタッフ全員が縫製を学ぶことができる点もポイントです」(田中さん)
成長の礎は社長とスタッフ一人一人の対話
様々な制度や手法を取り入れながらも、一貫して「スタッフの育成」を重視するのは、田中さんの服作りに対する敬意からだ。
「服を作るということは、まず服やモノ作りが好きじゃないとできない上に、手先の器用さや頭の回転も必要で、非常に奥が深い世界だと思います。作れる技術を持った人たちが自分の腕で稼げるように育成していきたいですし、技術に対してちゃんと対価を払えるような会社にしたいと思っています」(田中さん)
スタッフが縫製を担当したブランドの展示会に行けるようにし、現場で顧客の声を直接聞く機会を設けるなど、育成のための様々な取り組みを行っているが、「何よりも田中さんとスタッフとのコミュニケーションが成長の礎になっているように感じています」と堀口さんは話す。
「モンナトリエさんには技能実習生やパートの方を含めて60名近くが在籍していますが、田中さんは自ら全員とこまめに対話しています。時には入社して間もないスタッフの方にサンプル作りなどのレベルの高い”無茶振り”をしていることもありますが(笑)、仮に上手くいかなさそうな時も、田中さんはスピーディに気づき、責任を持ってリカバリーしています。そういったことが結果的にスタッフの技術や対応力向上に繋がっているのだと思います」
「ただ一方で、ネクストステップのためには組織力も必要だと考え、今年の6月から管理職を設けた新しい体制にしました。これにより、更なる成長が可能になり、田中さんが新しい取り組みを考えていけると良いな、と思っています」(堀口さん)
関わる人たちの輪を広げ、世界へ。モンナトリエが目指す未来
新体制に移行し、次なる一歩を踏み出そうとしているモンナトリエは、今後の展望をどのように見据えているのだろうか。
「ジャパンメイドの技術を世界に広めていくのが最終目標です。作った服の輸出だけでなく、アトリエのような拠点を海外に作れると良いなと思っています」(田中さん)
その目標に向けて現在行っているのが、外注企業への技術者の派遣や企業の自社工場への誘致だ。
「外注の方にお願いする際に、上がってきたモノに対して評価をするのではなく、現場で技術指導ができるよう、スタッフを派遣したり、逆に企業さんに工場に入ってもらい、モンナトリエがクオリティコントロールをしたりといった取り組みを開始しています。そうした人の輪を広げていき、ゆくゆくは海外での縫製も含め、技術指導できるようにしていきたいです」(田中さん)
「瀧定による設備面をはじめとするハードの部分と営業などのソフトの部分のサポート、モンナトリエさんのスタッフの育成や技術力向上、そして外注企業を含めた人の輪の構築の両方が必要なのだと思います。最終的には我々だけに限らず、ジャパンメイドそのものの継続と持続に繋がっていくと良いなと考えています」(堀口さん)
人生では様々な人と出会うが、時折「太陽のような人」と出会うことがある。
他者の気持ちに寄り添い、周りに安心感を与え、ポジティブなエネルギーで明るさをもたらす存在だ。その人がいるだけでその場の空気が一変し、リラックスした雰囲気に包まれる。
モンナトリエの田中さんはまさに「太陽のような人」だった。
広い工場をひとりで駆け回り、スタッフに声をかけるたびに笑顔が溢れる。自らの光で周りの星々を照らし、活力を与える太陽のように、田中さんはモンナトリエの技術者を輝かせ、その周りには田中さんに引き寄せられた数多くの人々が幾重にも”人の輪”を形成している。
日本の中央に位置し、交通の要所でもある愛知県では、トヨタ自動車の成長とともに関連企業が集積し、地域全体の競争力を高め、日本の技術力を世界に発信してきた歴史がある。
TAKISADA TECHNICAL SUCCESSORの堀口さんと共に、まさに二人三脚で人の輪・技術の輪を広げてきた田中さんは、今後、日本の技術力を世界に発信する新たな恒星のような存在となるのだろう。