「カルピス」といえば、その味と「初恋の味」のキャッチフレーズから、幼い頃や若い頃を思い出す人も多いかもしれない。創業者・三島海雲が内モンゴルで出合った発酵乳がそのヒントになったとされるが、今なお生乳を「カルピス」菌によって発酵させるという独自製法は変わらず、100年間続いてきた唯一無二のブランドだ。
現在はアサヒ飲料の傘下となった「カルピス」の100周年を記念して、今年はコラボアイテムやイラストレーターとコラボしたスペシャルパッケージなど、さまざまな限定商品が展開されている。その中でも一大プロジェクトと呼べるのが、10月1日にオープン予定の見学施設”「カルピス」みらいのミュージアム”だ。
“ブランドの顔”としてのユニフォームの役割
その地は群馬県館林。日本に7カ所あるアサヒ飲料の工場の中でも東日本の生産を担う一大拠点で、13万6000平方メートルという広大な土地に約400人が働く。6種類の生産ラインを持ち、24時間の稼働で1日300万本もの飲料が生産されている。ここに新設されたミュージアムには、「カルピス」を想起する青と白の水玉模様が随所に散りばめられており、「カルピス」の歴史や製造工程に加えて、プロジェクション映像、香りの出る部屋、試飲室など、体験を通じて「カルピス」を深く知ることができるという内容だ。
もちろん、ガイド役のユニフォームも水玉模様。このユニフォームをsitateruが生産した。コットンとポリエステルからなる薄手のジャケットコートで、ポリエステルにはリサイクルペットを織り込んだ。生産は、プリントから刺繍、縫製まで、全て東日本の「カルピス」を生産し続けてきた「群馬県内」で行ったというこだわりで、インナータグには群馬県の形も象られている。
ミュージアムを統括し、ユニフォームの製作も担当した、アサヒ飲料 コーポレートコミュニケーション部コミュニケーション推進グループの白圡(しらと)久美子さんは、こう語る。
「工場ツアーガイドの制服といえば、かっちりした女性用のセットアップが一般的です。しかし、『カルピス』の長い歴史の中でさまざまな経験・知識を持つ社員や、地元の方々などにもガイドになってほしいという願いを込めて、老若男女が着られるゆったりとしたコートを作りたかったのです」(白圡さん)
ブランドらしさを追求したユニフォームの妥協なき“水玉模様”
アサヒ飲料では白衣を着て小学生向けに乳酸菌についての出前授業を行っている。ミュージアムでのガイド役だけでなく、様々なステークホルダーとの接点における“ブランドの顔”としても活用できることを目指した。コートという形態はそれにぴったりだし、ブランドらしさを一目で伝えるためにも「カルピス」らしい水玉模様は最適だろう。
この水玉模様には「カルピスの水玉」だとわかるための、かなり細かいレギュレーションがある。今回も何度も水玉の配置やサイズを変えては試作を繰り返した。ブランド・アイデンティティの最も根幹となる部分だけに、もちろん妥協は許されない。
群馬の衣服生産工場も同じ県内の「カルピス」ブランドのために、協力体制で試行錯誤に挑んだ。通常であれば、生地に総柄でプリントしてから裁断して縫製するという手順だが、そうするとどうしても裁断による個体差や、縫い目の部分でのズレが生じてしまう。最終的には、手順を変えて裁断してからプリントするという手法をとった。
「その結果、遠くから見ても『カルピス』らしさを感じる仕上がりになりました。子供サイズも追加で提案いただき製作しましたが、こちらはイベントでも大人気。子供が着て記念撮影をして、ブランドらしさが伝わっていく様子はとても嬉しかったです」(白圡さん)
そもそも、100年続くブランドの象徴としての水玉模様が生まれたのは1922年。七夕生まれから着想を得て、天の川をイメージしたものだった。水玉模様はミュージアム内の壁紙やプロジェクションマッピングなどにも登場するが、そのひとつひとつをプロジェクトチームで見て調整していった。100年近くこのシンボルを維持してこれたのは、ブランドとしてデザインの力を信じてきたからだろう。
未来の子供が「カルピス」を思い出してくれるように
聞けば創業者・三島海雲はアートやデザインに非常に強い関心を持ち、商品の見せ方や伝え方に並々ならぬ努力を向けたという。時代に先駆けて「初恋の味」というキャッチフレーズを使ったり(当時は「初恋」という言葉自体気恥ずかしくてあまり使われるものではなかった)、第一次大戦後、困窮した海外アーティストの広告コンクールを開催して優秀作品に賞金を出すなど、アートへの造詣も深かった。ミュージアムには過去の広告ビジュアルが数多く飾られているが、なかには岡本太郎の父・岡本一平によるイラストなどもある。
「ブランドのコンセプトを正しく伝えるために意味のあるデザインを活用することは大切です。『カルピス』には創業当時から受け継がれるブランド思想があり、このミュージアムやユニフォームにも反映されています。東日本の拠点としてここはとても大事な場所。ここを訪れた子供達が大人になっても『あの時見たカルピスの工場』を覚えていてほしいと思います。どんな場所でもお客様との一つ一つのコミュニケーションが満足につながることは言うまでもありませんが、このデザインがこれからの100年につながってゆくことを願います」(白圡さん)